先日、ノーベル賞授賞式でマララさんが
世界の、貧しくそしていのちを脅かされている女性やこどもたちへの
希望となる演説をしていました。
この演説は、
日本から遠い国の人が訴えていることではなく、
人権を侵された一人の女性が訴えているものだなと私は思いました。
日本で字が書けない、読めないひとはほとんどいないから関係ない。
日本の子どもたちが危険にあるようなことは無いから関係ない。
テロ・テロと言うけれど、日本には関係ない。
そんなことは無いのです。
虐待やドメスティック・バイオレンス、デートDVで苦しんでいる母子が
昨今増加しているとニュースでも取り上げられていますし、
子どもたちの生活における貧困格差も、
子育て中の私にも薄々感じられるようになってきました。
こんな突起した事柄だけではありません。
近代化して事業も盛ん、他の国に比べて平和で教育も社会保障も充実している国なのに、
未だに
『女の子だから、頭のいい高校にいかなくていい』
『女の子だから短大程度でいい』
というセリフを耳にします。
そのセリフの後にはきっと『どうせ結婚してしまうのだから』と続くのでしょう。
結婚してしまえば、教養も必要ないのでしょうか?
高い教養を身につけて、会社に勤めても
男性と同じように働かなければ、受け入れてもらえないのでしょうか?
男女が平等に生活する、労働することは
どちらか片方に傾倒しないと得られないのでしょうか?
マララさんの願いは
日本の社会で生きている私たち(男性にも女性にも)訴えている
と私は思います。
武器を持つじゃない、
戦うことじゃない。
喧嘩をして傷跡が出来てしまうような殴り合いは、よくない、
希望をうまないと
敗戦直後、焼け野原を目の当たりにした日本人が決意し、
生まれた私たち個人の尊厳を大事にする憲法。
私は戦争なんてしりません。
しりたくありません。
未来ある子どもたちのこれからを
弱い立場の人の人権を脅かすような政党に賛成できません。
話がだいぶ飛躍してしまいました。。。。。
12月は人権を考える月です。
そしてきょうは投票日。
某政党の圧勝でいいのだろうか・・・・と不安になる。
それでも私は私に出来ることを、希望を捨てないで
投票してきます。